規則正しく並べられた机の一つから荷物を取り彼は特別講師室に向かった。
常日頃から使われていない特別講師室を横切る度に何の意味があるのかと感じていたが実際自分が入室することになろうとは
この時まで思ってもいなかった。
特別講師室の前に辿り着くと室内からは明かりが零れていた。
「初めて見るな…明かりがついてるの」
コンコンとノックをして反応を待つ。
「はーい、どうぞー」
中からは女性の声がした。
「失礼します」
カチャリとドアノブを回し入室すると彼はその光景に呆気に取られた。
「ドア閉めてくださいね、一応お忍びなので」
言われて彼は慌ててドアを閉めた。
「そこに掛けてください」
正面の重厚に作られたデスクに腰掛けた男性が向かって左側のソファを指差した。
「は、はい」
半ば緊張気味に答える彼はぎこちなく指されたソファに腰掛ける。
「まぁまぁ、あまり緊張しないで下さいね。難しいかもしれないけど」
笑いながら眼鏡をかけた女性はお茶を注いでいる。
お茶を出し終えると向かいのソファに女性と男性は静かに腰掛けた。
そして、もう二人…
「この椅子超ふかふかー!」
「えー真美も座りたーい!」
と先程男性が座っていた椅子を取り合っていた。
「はぁ…」
女性が溜息を漏らす。
「…」
一つ咳払いをして男性は話し出した。
「とりあえず自己紹介から、あまりこちらには顔を出せてませんからね」
「確かに」
女性が茶々を入れる。
「この度765プロの特別プロジェクトである、このプロデューサー養成プロジェクトを発足した特別講師の○○です」
「同じく私は秋月律子です。向こうの二人が双海亜美と真美」
「現役アイドルユニット フィズと現役のプロデューサーなのは存じてます」
「私達も少しは有名になったのかしら?」
フフッと律子は小さく笑った。
「貴方はこちらのプロジェクトの特別枠で入校された××さんでお間違いありませんか?」
「はい、間違いありません」
「良かった、では早速ですが幾つか質問をさせていただきますね。あまり緊張せずにありのままお答えください」
プロデューサーが台本でもあるかのようにテキパキと話を進めていく。
「はい、わかりました」
「では現在の流行を答えてください。上位から」
「ボーカル、ダンス、ビジュアル です」
「ふむふむ」
答えたものを律子がメモしていく。
「現在765プロのユニットを分かる範囲で答えて下さい。構成されたアイドルの名前含めて」
「天海春香さんのプリズム、星井美希さんと如月千早さんのティアラ、秋月律子さん、双海亜美さん真美さんのフィズ」
「ふむふむ」
「そして、水瀬伊織さん高槻やよいさん萩原雪歩さんのディアマインです」
「ディアマインをご存知で?こう言っちゃなんだけどまだマイナーな方にいると思うんですけど」
律子が溜まらず口を挟んだ。
「ボーカルが主流の今の時期、伊織さんのビジュアル中心のユニットでは苦戦が続いているのかも知れませんが
情報は集めておいて損はありませんから」
「なるほど」
「では貴方がモットーにしている、若しくはしようとしているプロデューサーとしてのスタイルとかはありますか?」
「形に囚われないことです」
「ふむ、と言うとここに入校された事に矛盾を感じませんか?養成所と言うのは得てして同じ知識を広め共有する場所ですが」
「確かにそうですが、形があっての無形だと僕は思います。知識が無ければそれを新たに形にする事も崩す事も出来ないのではないでしょうか?」
「なるほど」
その答えに律子もプロデューサーも大きく頷いた。
「今の答え、ポイント高いですよ。感心しちゃいました!特別枠での入校も頷けるわ」
律子は笑顔でそう言うとプロデューサーの方に向き直ってじっと見つめた。
プロデューサーは小さく頷くと口を開いた。
「ありがとうございました。質問はこれで終わりです」
「はい。それでお話しと言うのは?まさかこの質問の為ですか?」
「うーん、当たりと言えば当たりですけどね」
律子が言う。
「はぁ…」
「本当の所を言うと今の質問で少し試させて頂いた形になります。申し訳ない」
プロデューサーの言葉と同時にプロデューサーと律子は頭を下げた。
「いえ、それは構わないのですが。試してみて何かお解りになったのでしょうか?」
彼がそう言うといつの間にやら彼の傍に寄っていた亜美と真美が彼の両手を取った。
「合格だって、兄ちゃん♪」
「おめでとう、兄ちゃん♪」
「へ?」
何が起こったのか理解出来る訳もなくあっけらかんとしていると律子の声が響いた。
「こら亜美真美!」
「律っちゃんと兄ちゃんが満足そうにしてるもん♪」
「顔見れば分かるもんねぇ、そうだよね?律っちゃん♪」
二人の言葉にやれやれと言った感じでプロデューサーがトントンと額を叩いた。
「先に言うかな…一番かっこいい所を。ふぅ、まあ二人の言うとおり合格です」
「あ、ありがとうございます。それで何が合格なのでしょうか…?」
ブンブンと両手を亜美真美に振られながら彼は質問した。
「実はディアマインのプロデューサーが急遽欠員になりまして。臨時として一人養成所から送り出す事になったんですよ」
律子の言葉に彼は状況が理解しきれずにいた。
「つまり、急な話しではあるのですがプロデューサー候補生としてではなくプロデューサーとして仕事をして頂きたいのです」
律子のプロデューサーが話を進める。
「え?」
「明日、お時間ありますか?」
「はい、いつでも…って―」
「では明日765プロ本社で顔合わせをして頂きますのでよろしくお願いします」
終始事態が把握出来ていない彼に対して律子達は淡々と話しを進めていた。
「ちょ、ちょっとすいません。えと、本社で誰と…」
「高木社長、事務の音無小鳥さん。それと」
「それと…」
ゴクリと唾を飲み込む。
「先程仰っていた、水瀬伊織、高槻やよい、萩原雪歩のディアマインの面々です」
「ええぇ?」
「明日、私達も一緒に本社に行きますからどこかで待ち合わせてから行きましょう」
最後の律子の言葉は彼の記憶には薄っすらとしか残らなかった。
翌日
「次のプロデューサーは大丈夫なんでしょうか…」
会議室で並べられた席に着いて雪歩が不安げな声を上げる。
「ダメならまた変わるだけよ」
当然の事の様に語る伊織の言葉に誰もが絶句した。
皆それが一番不安なのは言うまでも無く当の本人だけが淹れられた紅茶を穏やかに啜っていた。
「み、水瀬君」
社長が恐る恐る口を開く。
「出来れば、そのぉなんだ。プロデューサーを変えるのはこれで最後に…」
「なに?文句あるわけ?アイドルの魅力を引き出すのもオーディションを勝たせるのもプロデューサーの仕事でしょ?」
伊織はにべもない。
「ま、まぁそうなんだが…」
「遅いわね、私を待たせるなんていい度胸してるじゃない!」
「まだ時間になってないよ?伊織ちゃん。きっと大丈夫だよ、もうすぐだよ♪」
やよいがすかさずフォローを入れる。
「まぁいいわ。焦ったってプロデューサーの質が変わる訳じゃないしね」
伊織の言葉にやよい以外の3人が重たい溜息を吐くと同時に会議室のドアが軽くノックされた。
「はーい」
小鳥が声を掛けるとドア越しに律子のプロデューサーの声が聞こえた。
「只今到着しました」
「どうぞ、お入りくださーい」
小鳥の言葉と同時にドアノブがガチャリと音を立てると会議室の面々は息を飲んで思い思いに姿勢を正した。
ドアがゆっくりと開き律子のプロデューサーの静かに揺れるグラスチェーンが見えると続いてフィズが姿を現す。
そして誰もがその後の影に注目していた。
「お待たせしました」
律子のプロデューサーが言うと同時に男性の風貌が露になる。
「彼がこの度の特別プロジェクト特別枠で入校したディアマインの臨時プロデューサーです」
「よろしくお願いします」
言葉と共に男性が深々とお辞儀をした。
ディアマインの面々は揃って声が出なかった。
比較的歳も近い男性がプロデューサー。
整った輪郭にしなやかな猫っ毛をさらりと長く伸ばした男性。
どちらかと言えば律子のプロデューサーにも似て二枚目な部類に入るのだが彼の薄く開けた細い切れ長の眼がかっこいいと言うよりも
優しそうな人と言う雰囲気を自然に作り出してしまっていた。
その為に逆に不安を駆り立てたのだった。
弱肉強食が常のこの世界でアイドルマスターを目指す自分達とそれを支えるプロデューサー。
しかし彼からは微塵も野心が感じられなかった。
どちらかと言えば前者の部類に入ってしまう…。
そんな雰囲気を感じていた。
流石の伊織もその雰囲気に完全に飲み込まれ第一声を放つ事が出来なかった。
「おぉ!そうかね、君がプロデューサー候補生第一号の卒業生かね!」
社長の言葉に彼は律子のプロデューサーの顔色をちらりと伺った。
「そうなるんでしょうか?」
「そうですね。臨時ですが必然的にそう言う事になりますね」
律子のプロデューサーがさらりと答える。
「頑張ってくれたまえよ!短い期間とは言え彼女らのアイドル人生は君の双肩に掛かっているのだから!」
「何処までやれるかはわかりませんが、プロデューサーとして自分が出来る限りの事はしたいと思ってます」
男性は社長に対して緊張している素振りは無かった。
「そ、そうね。出せる力以上のものを出し切ってもらわないと困るんだから」
社長と言うワンクッションを置いて伊織が話し出す。
「ちゃんと私の魅力を引き出しなさいよね!」
(あ、れ…?)
雪歩が伊織の言葉に奇妙な違和感を感じてやよいの方を振り返るとやよいも同じ事を感じていたのか小首を傾げて何かを考えている様だった。
「伊織…あんたねぇ―」
「まぁまぁ、律子」
律子のプロデューサーが口を挟んで律子を制止する。
「とりあえず彼に教えておかないといけない事が幾つかありますので一旦解散しましょう、伊織ちゃん達とのミーティングはまた後程」
一触即発の雰囲気を回避する為に律子のプロデューサーは男性を連れ出した。
一応の顔合わせを終えた社長と小鳥も次いで会議室を後にする。
ディアマインはポツンと会議室に取り残されていた。
「あの人が新しいプロデューサー…」
雪歩がポツリと呟いた。
「全く、あんなんで仕事が勤まるのかしら?」
腕組をしながら伊織が言うとやよいがじーっと自分を見ている事に気がついた。
「どうしたのよ?やよい。私の顔に何かついてる?」
「あ、ううん。何かついてるとかじゃなくて。いつものアレが無かったなぁと思って」
「いつものアレ?」
伊織が不思議そうに首を傾げると雪歩がやよいの言葉に賛同した。
「あ、私もそれ思った」
「うん。いつもみたいに 『水瀬伊織でぇす♪よろしくお願いしまぁす♪』って」
言われて伊織は赤面した。
「そ、それは!あまりにも頼り甲斐が無さそうだったからビックリして忘れちゃっただけよ!」
慌てて否定する伊織の言葉にやよいは少し間を置いていつもの笑顔で「そっか♪」とだけ答えた。
「でも優しそうな人で良かったね」
雪歩が安堵の表情を浮かべながらそう言うとやよいも伊織も表情を戻して話に乗り出した。
「そうですね!私も一安心です!」
「その辺は合格点ね。後は能力次第って所かしら」
しばらくそんな調子で談笑しているとゆっくりと会議室の扉が開いた。
その先からディアマインの新プロデューサーが一人で入ってくる。
「やぁ。ごめんね、楽しそうな会話の途中で」
プロデューサーは先程と変わらず柔らかな表情を浮かべている。
プロデューサーが席に着くとディアマインの面々も姿勢を但し正面に向き直った。
「さっきも話しがあった通り、今日から君達のプロデューサーをする事になったのでよろしくお願いします」
プロデューサーは机の上でペコリと頭を下げた。
名前と顔の確認、今までのローテーション、持ち歌の配分等諸々の確認事項を終えるとプロデューサーはトントンと書類を直した。
「成る程、良く分かったよ。所でスケジュールの確認なんだけど明々後日はオーディションの予定だったよね?」
「そうです。秋の祭典に特別参加枠でオーディション受ける事になってます。でも…」
雪歩が不安げに答える。
「ははっ、似た者同士だね。うーん」
プロデューサーは考える様に少しの間上を向いてすぐに視線を戻した。
「準備は出来てるのかな?」
プロデューサーの言葉に三人が静かに頷く。
「なら、そのまま受けよう」
プロデューサーが言うや否や伊織がガタッと音を立てて立ち上がった。
「ちょ、ちょっと待ちなさいよ!アンタ今日着任したばかりで大丈夫なの?」
伊織の怒気の混じった言葉に表情を変える事もなくプロデューサーは答えた。
「やってみなくちゃ解らない事もあるし」
「緊張とかしてない訳!?」
「緊張はしてるよ」
プロデューサーは特にそんな風には感じられない様子で言った。
「〜〜〜〜〜〜〜っ!」
声にならない怒りが伊織から発せられているのはやよいと雪歩はつぶさに感じ取っていた。
「自信も無いよ。まぁ、正直に言ってしまうと何を悩めばいいのか何処に自信を持てば良いのかもわからないんだけどね」
プツンと何かが切れる音がした。
「ちょっとアンタ!そんなんでオーディション勝てると思ってる訳!?今まで何人もそんな事言って勝てなかったの位知ってるでしょ!」
「うん、今までの経歴は目を通したよ」
「しかも秋の祭典なのよ!何を根拠にして悠長に準備も無しにオーディションを受けるとか言ってるのよ!」
肩で息をしながらいきり立つ伊織の言葉に再びプロデューサーは上を向いた。
「うーん」
「…」
「ユニットの力かな?」
「え?」
「え?」
「え?」
プロデューサーの言葉に口を揃えた様にィアマインの面々は同じ言葉を漏らした。
「伊織のビジュアル、雪歩のキャラ、やよいの元気。3つも特徴があるなら十分に勝てる要素はあるじゃない」
「そ、それはそうかも知れないけど」
不意を突かれ口ごもりながら伊織が言う。
「準備はしてあるんでしょ?」
「とっくにしてあるわよ」
「なら受けようよ、勿体無いし」
「勝てるんでしょうね?」
「わからないなぁ」
相変わらずの調子でプロデューサーは答えた。
「今まで散々受けてきて他のプロデューサー達は負けてきたわ。そこはどうなのよ」
「他のプロデューサー達を悪く言うつもりは毛頭無いよ。皆すごい努力をしてきたんだと思うしね。でも―」
「でも?」
「僕には僕にしか出来ないやり方があるんだよ」
プロデューサーの言葉に伊織はゴクリと喉を鳴らした。
ぽつりと言い放つ様に言ったその言葉には今まで感じ取れなかった野心が確かに含まれていた。
「フン、臨時だからって適当な事言ってる様だったらぶっ飛ばすんだから」
それだけ言うと伊織はプイッとそっぽを向いた。
「適当にはやらないよ。伊織達と自分の力を存分に発揮する様にちゃんと頑張るよ」
微笑みながらプロデューサーが言うと今までの緊張から開放された雪歩とやよいがほっと溜息を吐いた。
「それじゃあ、僕は色々教えてもらわないといけないから各自今まで通りのスケジュールでお願いするね」
言い残してプロデューサーが会議室を後にすると伊織達も次いで会議室を出た。
「なんかムカつくわ…」
帰り道、伊織の気持ちはまだ納まっていなかった。
「まぁまぁ、伊織ちゃん」
「何がムカつくのか分からないのがまたムカつくわ…」
「伊織ちゃん…」
雪歩が泣きそうな表情で伊織の動向を心配していた。
「最初はちょっと心配だったかもだけど、最後の言葉はなんか頼れる人って気がしたよね?伊織ちゃん」
やよいは雪歩の心配を知ってか知らいでか嬉しそうに伊織に話しかける。
「ま、まぁそうね。ちょっとは見直してやってもいいかも知れないわね」
「うっうー!気合が入って来たかも!何だか今度はいけそうな気がしますー!」
「そうだね。私も今度は負けない様に頑張るね!」
「…」
雪歩とやよいの言葉に答える事も無く伊織は押し黙っていた。
オーディション前日の夜
「明日は止むかしら、雨」
プロデューサーと対面した翌日から降り続く秋雨を伊織は窓から眺めていた。
どんよりと雨雲が空一面を覆っている。
「こう雨が続くと滅入ってくるわね、暑かったり雨が降り続いたり…なんなのかしら、はぁ」
窓の縁に頬杖をついて誰に言うでもなく呟く。
「アイツちゃんとやってるんでしょうね」
ふと伊織の無意識にプロデューサーの顔が過ぎった。
「…」
「てなんでアイツの事考えてるのよ!ムカつくわ…寝よっと」